65歳からの外科医



Yahooニュースで心臓外科医の天野先生が定年後にどうするかというニュースを見た。

https://president.jp/articles/-/43708?page=1

 外科医がメスを置くというのは大変大きな決断であり、天野先生のように可能な限り手術をする、しようとする人も多い。かたや、大学病院などで肩書きが上の人はもう若い外科医に手術を任して、デスクワークに徹し、会議などのみで手術をほとんどしない人もいる。こういった場合は自分が手術しなくても多くの手術できる医局員がいるから任せるという意味と自分が手術できないかする自信や興味が無くなったという二つの理由がある。しかし、かたや一般病院はスタッフが大学病院のように多くは無い場合がほとんど(多くのスタッフがいる病院もあるが)なので、年をとっても手術をせざるを得ない。嫌でも、面倒でもしなければする人がいないわけである。天野先生は大学教授ながら65歳定年まで精力的に手術をされ、さらに自分の腕を世界に役立てようとされているので、やはり手術がお好きなんだろうなあと思う。凄いバイタリティである。しかし欧米では55歳くらいまでに大きな報酬を得て早期退職し悠々自適な生活を送る医師も多い。

流水腐らず、戸枢螻せず

(りゅうすいくさらず、こすうろうせず)

ということわざがある。常に流れる水は腐ることがなく、常に開閉している開き戸の軸は虫に食われることがない。常に活動し変化しているものには沈滞や腐敗がないというたとえ。同じ事を無意識に延々としている人間は腐っていくのだろうか。手術でもそうなのかもしれない。変化のない同じ手術を延々とすることは、確かにその手術技術は安定するのかもしれないが。それ以上の進歩は無いもしくは少ない。何より同じ事を延々と行うのは、たしかにそれは継続性という意味では大切なことだし尊敬されることではあるのだが、普通は面白くないし飽きてくる。そうすると後進に道を譲るということになるのかもしれない。何か新しい行動を取る。それは新しい手術への挑戦や現在行っていないことを行ってみるなどいろいろな意味があると思うが、同じ事をやっていると時間が早く経過するように感じることは真実である。学生時代の時の流れと40過ぎてからの時の流れは全く感じ方が異なる。あっという間に10年が過ぎている。。。外科医が手術のモチベーションを保つには”手術が好きだから”とか”患者さんに感謝される”という事以外にいろいろあるはずである。それは報酬でも良いし、自分を高めるための自由な活動でも良いし、他の自分にとって新しい何かでも、欧米のようにメスを置いた後の将来への夢でも良いだろう。

人生は1度しか無いというのは事実であるなら、何年も何も考えず水溜まりのごとく何かに縛られながら同じ仕事をして定年を迎えてメスを置くという外科医というのは最も悲惨なものなのかもしれない。。。そんなこと今まで考えたことは無かったが。

オリジナルとザッハートルテ



”オリジナル” とはWikipediaでは

  1. 「独創的」・「独自のもの」という意味。 また、何かに加工されたものの元となるもの。特に、複写複製等に対して用いられる。本項で詳述する。
  2. 既製品に個人販売店などが加工や機能を追加したもののこと。誤った用法であるが、一般的に使われている。

つまり現在行われている手術のほとんどはオリジナルなものではない。しかし手技の細かなひとつひとつには、それぞれオリジナルがあると言ってもいいとは思う。大きな機械の中の部品一つ一つにもオリジナリティがあるのと同じである。精密機械であれば、部品それぞれに特許がある。それはWikipediaの2に相当するものもしないものも存在する。オリジナルであるのかそうではないのかという議論は手術や手技において重要ではあるが、そこに金銭的利害関係がない場合(普通はデバイスが絡まないとあまりない)問題にはなりにくい。しかし、学会などで自分が初めてその発表をしたのに他人にオリジナルかのようにさも初めて発表したかのように言われると、当の本人はいい気がしないのは確かである。また、多くの人が行っていて、どうでもいいような常識的なことをさもオリジナルのように発表する人もいる。こうなると精神的な利害は伴うかもしれない。だから、そういう場合は〇〇先生も発表されていますが~という言い方をする方が良いようなこともある。

しかし、もろ利害関係の発生する商品に関してはそうはいかない。ぱっと頭に浮かぶのはザッハートルテ(Sachertorte)である。ザッハートルテはご存じのようにオーストリアの有名なチョコレートケーキである。ウィーンに行かれたことのある人や興味のある人なら有名な話なのでご存じではあると思うが、実はザッハートルテには2種類ある。

ちなみにザッハートルテのレシピは、チョコレートバターケーキに、アプリコットジャムを塗り、チョコレート入りのフォンダンでコーティングして、仕上げに砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えるというもの。2種類のザッハートルテというのはオリジナルのザッハートルテを生み出した菓子職人フランツ・ザッハーのいた本家「ホテルザッハー」のものとオーストリア王家御用達の菓子店「デメル」のものである。いうなればデメルのザッハートルテは厳密にはホテルザッハーの方が早いのでオリジナルではなく、Wikipedia2に相当するのかもしれない。じゃあ、何が違うのかというと、基本的なレシピはほとんど一緒なんだが、アプリコットジャムの塗る場所が違う。「ホテルザッハー」のはアプリコットジャムがスポンジの中とチョココーテイングの下に塗られているのに「デメル」のものはスポンジの中には塗られていない。こ、これだけかい。。。。という感じなのだが。。どちらがおいしいかは個人差がある。個人的にはあの甘いケーキに甘酸っぱいアプリコットジャムがケーキのスポンジの中にも塗られている方が食感もいいし、味も甘さが緩和されスッキリして好きである。(これは完全に好みで変わる)これにウィーンナーコーヒーを合わせると寒いウィーンでは生クリームだらけの最強のデザートとなる。

この二つの違いはオリジナリティの存在をめぐって裁判になり、「ホテルザッハー」が勝利することになった。まあ、ザッハーって名前があるからなあ。。ただ、デメルはホテルザッハーが財政難の時に融資で助けているので、デメルが助けなかったらホテルザッハーは潰れてオリジナルザッハートルテも現存しなかっただろうと。。。裁判には負けたものの、歴史はデメルが好感が持てるので、食べるのはどちらでもいいかなと思う。デメルトルテに名前を変えて売っても売れないだろうか。。

つまり、真のオリジナルでもそうでないものでも行きつく先は、個人差でその価値が変わるものや、さらなる完成度の高いもので、特に医療であれば患者側にとって有用な利益のあるものであれば、あまりそこ(オリジナルであるかそうでないか)に焦点を置かなくてもいいのかもしれない。



オリジナティのある医療



外科の世界において個人的に私が凄いなと思うのは、やはり全く何もないところから作り上げることやその人です。身近なところで分かりやすいものでは新しい手術手技ということがいえると思います。いわゆるオリジナリティのある医療、オリジナリティのある手術です。本当に何もないところから自分で新しい治療法や手術術式を考えるのは相当困難で凄いことです。私の入局した時点での医局は教授不在でしたが退職されたばかりの岩喬教授は、まさにWPW症候群の外科治療でオリジナリティのある手術を持つ稀有の存在でした。全国のみならず海外からも患者さんが大学病院に集まってきていました。なぜなら、当時その手術を施行しているのは唯一無二であったからです。岩先生は1987年に不整脈外科研究会を発足されました。その会は現在も続いています。研究会発足当時は心室頻拍やWPW症候群などに対する外科治療が主たるテーマでしたが、現在はカテーテルアブレーションを含めた心房細動に対する外科治療が中心となっています。しかし残念ながら、日本の第一人者と呼ばれる外科医のオリジナリティのある仕事は大変少なく(しかし岩先生のように各分野で確実にあります)、今はオリジナリティがあるといわれる新しいとされるほとんどの手技は海外から輸入したものです。海外でやっていたことを日本に輸入して手技を広め、そのうえで日本特有に手技やデバイスを改良するものが多いです。勿論、それですら当然、すごい苦労と努力が必要で尊敬すべきことではあります。“日本ではじめて“ や ”○○地区ではじめて“ や時には ”○○市ではじめて“なんて地域への新手技の導入というものは、グローバルオリジナリティーがあるとは決していえないものですが、これでも、少なくとも今まで自分がやらなかったことをやるわけですので、勇気も準備もいります。基礎医学の分野では、たとえばノーベル賞受賞分野では凄いオリジナリティのある業績が実際の臨床医学に応用されています。いわずと知れた免疫チェックポイント阻害剤などはその一つと言えます。外科分野は現在かなりその手技は成熟してきていて、昔ほどなかなかオリジナリティのあるものが出てこないのは当然です。外科治療として現在行われているある範囲は将来的にそれ以外の科の治療に置き換わっていくのは当然かもしれません。たとえば外科治療の革命の一つは痛みのない、創のつかない治療なのでしょうが、ガンマナイフやノバリスなどで実現可能な過渡期にあるとも言えます。勿論そこにはステージなどのハードルはありますから全てというわけにはいかないでしょう。心臓外科での冠動脈バイパス術のようにステント留置にかなりの適応が移行するなんてことも当然考えられるわけです。また、手術の上手さ。。。これを評価するのは難しいです。では外科手技は何で比較すればいいのか。。よく浸透しているのは病院間での手術数の比較です。毎年3月になると様々な出版社から本が出ます。しかし、A病院は年間ある手術が300例、B病院は100例だからA病院の方が手術が上手い!とはなりません。手術数は地域差での患者数の多い、少ないや病院の規模、勤務している外科医の数などで大きなバイアスがかかります。1チームの病院は3チームの病院より手術が少ないのは当たり前です。だから、この手の本での手技の優劣はわかりません。またどの外科医が手術するかでも手術の結果は左右されるでしょう。しかし、オリジナリティのある手術がその病院でしかできなくて患者が集まるのなら話は別で、一つの指標になる気がします。



ドイツの手術3



ドイツ・フライブルク大学呼吸器外科の手術室には大きな窓があり外が見えるような構造です。これはハイデルベルク大学ではそうではなかったので、ドイツ全てでは無いと思いますが、初めてこの手術室に入ったときは衝撃的でした。日本の手術室はまず窓は無いです。手術室壁の外に通路がありそこに窓があることはありますが、これは窓があると術者が気が散るからか、耐久的なことを考慮してかなどは不明です。まあ、あまり外から望遠鏡で覗かれてもいやなんで守秘的な意味もあるのかもしれません。今や、日本でも窓がある手術室や、窓が無くてもビデオでタイムリーに家族に手術の様子を見せられるような構造のところもあります。また手術用具は以前にも言いましたが、ディスポ製品というものがかなり少なかったです。つまり日本で使用しているピーナツ(Topffer)などの類です。鉗子に綿球をつけるのが当たり前でした。綿球はサイズがいろいろありました。気をつけないと術野に迷入しますね。術衣も当然選択できる布のもので、大きいサイズしか無く、困るのが首から胸が大きく膨らみダブつくことでした。なんとか工夫しましたが。いかにコストを抑えるのかというのが手術の一つの命題になっていました。

 



ドイツでの手術2



しかし、ドイツでの手術が日本に比べて全てにおいて優れているかといえば、そうではないと思います。自分は外国かぶれではないので、そこは冷静に判断できます。ドイツでの病院、少なくとも大学病院はそれぞれの科がいうなれば独立した会社みたいなものです。教授が社長です。教授が医局員の給料を支払います。そして医局員も基本給は凄く安く、仕事した内容によって加算されていくというシステムです。第一助手1回いくらみたいな感じです。また、収支が厳格化されているので不要な検査は基本的に行いません。保険でカバーされるものだけです(ここは最近の日本も似ているが)。だから、CTやPETや採血や何もかも頻回には絶対に行いません。損するからです。安易に手術でもステプラーを使いません。ほぼ全て糸での手縫いです。糸(当時モノフィラメントは1本3000円。今はもっと高額)も何本も使うと大変高額になるので、1本の糸での気管支形成は連続縫合なのも頷けます。1本の連続縫合をスキルの無い医師が行うと気管支のカッティング(裂けること)からせっかくここまで縫ったのに全て台無しということにもなります。極力材料費を抑える意識が各医師は高いです。あたりまえです。そうしないと給料でなくなりますから。日本は民間病院ならそういう意識が比較的あるでしょうが、公的病院では材料費に関する意識はほぼありません。それは悪いことではなく、患者さんのために、自分のためにお金を気にせず好きなものが好きなだけ使えることが可能なのは良いことです。多く使うとレセプトで詳細記載が必要になりますが、あまり非常識な使い方でなければ、経験上はレセプトで撥ねられることは稀です。日本でも使用できるステプラーの本数が決まっていますが、上限以上使うこともやはり場合によってはあります。しかし、ドイツではそういう場合は手縫いします。日本は本当に恵まれているなと思います。ただ、懸念もあって日本の若い呼吸器外科医はシンプルな気管支や血管の縫合閉鎖も経験の無い人が多いです。便利なステプラーをもちろん使えば良いのですが、使えないときやトラブル時にはマニュアル手法を知らないとリカバリーできません。

ドイツでの手術1




ドイツでの生活は朝早くからの回診に始まって、手術手術手術も連続でした。なぜここまで手術するのか??ドイツでは手術した患者は別室で麻酔医が覚醒します。覚醒部屋があり、何人もの術後の患者さんが寝ています。で、手術が終わって空いた手術室にはすぐに次の手術患者さんが運び込まれます。だから、術者の休み時間は本当に短いです。日本では手術が終わった患者さんは手術をした部屋で麻酔医のもと覚醒します。それまで手術室は空きません。患者さんによっては覚醒が遅い人もいます。呼吸がなかなか強くならずに気管内挿管チューブがなかなか抜けない人もいます。覚醒後はその後ICU(集中治療室)なりRR(回復室)なりに麻酔医とともに連れて行かれます。当然、その間は手術室は空っぽです。そして麻酔医も外科医も休んで次の患者の手術室への入室時間を決めます。どうですか。。。この違い。縦で手術して麻酔主治医が一人づつと決まっているからでしょうか。ドイツでは手術室が空になる時間が極めて短いといえます。日本みたいにお昼だから1時間ランチタイム!みたいなことはしません。ランチタイムを各医師ずらします。なぜ?そこまでやる??それはまず第一に患者が多く1日の手術数を増やす必要性があること、そして手術を増やして利益を上げる目的を共有していること。(ドイツは手術すればするほど収入が増える。してもしなくても同じ日本とは根本的に異なる。)第3に効率よく仕事をすることで勤務時間を短縮させることが出来るからです。ほとんどの病院がそこまでする必要が無い数の手術なので、あまり問題にはなりませんが。ただ、働き方改革で帰宅時間を早くというのであれば、そういう改革は必要になってきます。しかし、基本、いくら効率良く仕事をしてもインセンティブがつかないのであれば、手術リスクだけ上がるので、麻酔医も外科医もmotivationはあまり上がらないでしょう。

手術の診療報酬

前回は診療報酬の話をしましたが、それでは手術はどうでしょうか?

手術も細かく点数がついています。開胸手術は胸腔鏡手術より点数が低いです。また、気管支分岐部切除や再建手術、移植などは高い点数になっています。肺の手術では今はステプラー(stapler)というという自動縫合器というデバイスを用います。ステプラーとはホッチキスのことですが、細かな多数のホッチキスが臓器にかかり、内蔵しているカッターナイフで切るという装置です。これで肺組織や気管支や血管を処理します。なくてはならない機器なわけですが、これがなんと手術の種類によって保険で支払われる本数が決まっています。それ以上使用するとまたまた病院の持ち出しというか診療報酬から減額されます。規定数が6本なら7本以上使うと損していきます。だから診療報酬を少なくとも重要視してる医師は6本以内で何とかしようとします。しかし、どうしても使わねばならないときも出てきます。そこは仕方が無いのですが。また、超音波凝固切開装置やベッセルシーリングシステム(vessel sealing system)といった、これまた無くてはならない機器がありますが、これも加算は2000点です。機器の値段より安く設定されていますので、使えば使うほど一定の報酬減額になります。これら機器を使わずに胸腔鏡手術は可能ですが、術後術中合併症は上昇することが予想されます。多分、使わない外科医は極めて少数でしょう。 ここまでぎりぎりだとは何かおかしい感じがしませんか?

 

 

診療報酬について



病院の外来や入院では医師や看護師など医療従事者ははさまざまなことをします。その一つ一つの行為に点数がついています。例えば採血したり、点滴したり、内視鏡検査したり、手術したりです。診察だけでも初診料とか再診料があります。その点数X10が診療報酬(円)になります。例えば100点のことをすれば1000円ですね。 診療報酬とは、医療保険から医療機関に支払われる治療費のことです。これはいろんな制限がつけられていて、項目によっては月に何度も採血ができないとか、CTは1月1回だけだとかリハビリは月何分までとかなどです。過剰な点数で医療費が上がらないようにすることで医療費を抑制し保険財政が破綻するのを予防しているわけです。しかし、少子高齢化で医療費は自然に伸びていきます。医療が高度化すれば高度化するほど医療費は上がります。診療報酬点数を下げると様々なサービスが無くなります。食事の値段を下げたり、平均在院日数を短縮したり(一定期間以上の入院で診療報酬が下がるため)さまざまなことで医療費を下げることがされています。病院の診療報酬が下がる対策としては有料個室や特別室を作って報酬にすることです。この診療報酬の厳格化は最近、本当に厳格化されている雰囲気があります。無駄な医療=報酬の減額なのですが、昔は大学病院や公的病院などではいい加減な感じがありました(税金で補填されるから)が、今はそうではありません。例えば気管狭窄や気管支狭窄に用いるステントなどは硬性鏡を用いるシリコン製のDumonステント以外は赤字です。しかしこれは留置にテクニックが必要です。硬性鏡自体、実際には使ったことのない医師も多いと思います。Ultraflexなどの軟性気管支鏡で入れるステントは手技的には簡単ですが、材料費が手技料より高いので入れれば入れるほど赤字です。こうなると赤字を生み出すために働いていることになります。こういう材料費が手技の範囲を狭めているともいえます。赤字になると医師はただ働きどころか、マイナス報酬を生み出すことになり、病院の持ち出しとなります。患者には有用でも病院はどんどんと赤字になっていく構図です。だから、ギリギリの診療で行っている日本の病院は今回のコロナパンデミックで通常の患者数が減ると赤字にすぐに転落します。

 

最近は外科医を目指す医学生が少ないそうです



今の医学生に外科医志望は少ないそうです。やはりきつい、厳しい、汚いの3拍子でしかも一人前になりにくいというのが、働き方改革にも開業にも相反しているからなんでしょう。開業もしにくいし。私は平成3年に大学を卒業しましたが、当時は男性は外科系志望者は今のようには少なくなかったですね。手塚治虫のブラックジャックの漫画を誰もが読み、渡辺淳一の本を読み、白い巨塔や振り返れば奴がいるなどの映画やドラマを見てきた医学生は大体は私のように大学入学時から外科志望だった学生が今よりははるかに多かった気がします。母校の第一外科には同期が12人いました。まあ、今の研修医から見たら外科なんてと思うのかもしれないんですけど、振り返ると何も考えないで外科に入った気がしますね。当たり前ですが将来設計やきついなんてまるで考えていなかったです。とにかく手術に入るのがワクワクして第3助手だから術野は何も見えないんですが、いっぱしの外科医になった気がして研修医時代でも嬉しいものでした。内科系に行った同級生を決して卑下したりはしませんが、なんで内科?血を見るのが怖いのかなあと何も考えずに当時は思ったりもしていましたね。ドラマでも大体は主人公は外科医ですからね。昔も今も。例外はありますが。しかし、今思うと内科は開業しやすいですし。就職もしやすいです。リスクは低いとはいえないですが、外科や麻酔科よりは低いのかもしれないです。今50台半ばになって、やはり外科医で良かったと思っています。振り返れば外科医でなければ助けることができなかった患者さんは多くいましたし。ただ、患者さんを助けたいという崇高な目標は研修医時代になんかあろうはずがなく、頑張ってなるべく早く一人前になりたい思いだけだった気がします。だから研修医の時、初めて貰った給料が手取り8万円だったんですが、助教授先生に明細みられて、お~おまえ何もできないのに結構給料もらってるな!と言われ、怒るどころか確かにそうだなと思った記憶があります。今の研修医は我々の時代よりは給料は恵まれていますね。



手術で一番大切なこととは



肺癌手術にかかわらず癌の手術で一番大切なこととは一体何でしょうか❓

手術を受ける側の望むこと。それはまず癌をきっちり取ってくれて、いうなれば癌を根治させてくれるかどうか。そして同時に安全に手術してくれるかどうか。次に創の大きさや術後の疼痛など合併症を少なくなどでしょう。

医者側と患者側で、それがややずれていることなどがあります。現在では内視鏡手術はどの臓器の手術にも応用されて普通で安全のものになりましたが、胸腔鏡手術も出始めの頃は手術術式に関していろんな意見がありました。

まず危ない。ちゃんと肉眼で見なさい。リンパ節郭清が十分できない。創の大きさなど問題ではない。手で癌を触ってこそ局在がわかる。など様々な意見がありました。これら意見は決してまるっきり間違いとはいえません。しかし、今は呼吸器外科領域だけでなく、消化器外科も産婦人科も脳外科も心臓外科もありとあらゆる科で内視鏡手術が普通に行われています。なぜこんなに日本のみならず世界中で普及したのか?これは私は患者側のためというよりは医師側の利点、つまり術者が楽だからではないかと考えています。大きなモニターに映し出される臓器、血管は肉眼で拡大鏡をつけるよりもはるかに精密で見やすいです。しかも術者は首を曲げないでいいので本当に楽です。小さな創から首を曲げて覗き込む手術は本当に肩こりがひどくなります。たまに行う開胸手術の時でさえそうなりますので。また視野の統一性があります。術者だけでなく第一助手、第二助手、機械出しナース、手術に入っていない学生や外回りのナースまでもが全員同じ視野を見ているわけです。術者が何かおかしなことしてたら第二助手ですら、すぐに指摘できます。昔は第二助手以下は全くと言っていいほど術野が見えませんでした。。。悲しい現実でした。

ドクターY~外科医・加地秀樹  (ドクターXではない)

などは腹腔鏡の魔術師と呼ばれていますが、魔術師でない医者は必ずしも腹腔鏡手術の方が開腹手術よりも優れてるとは言えないわけです。つまり、技術が優れている人では内視鏡手術は開胸手術よりも手術を受ける側の望むことが大きく叶えられるけど、そうでない人では叶えられないということになります。

これは、かなりsevereな問題ですが、手術で新しい技術が出てきた時、その技術をすぐに自分で行って満足できる医師は少ないです。当たり前ですが learning curveは医師により異なるので、早くうまくなる人とそうでない人がいる。満足にできそうにない間は、患者さんには迷惑が掛からないように簡単に出来そうな腫瘍やリンパ節郭清をしなくてもいいようなものに限定するわけです。手術をするとき誰がするのか、その人はどのくらい経験があるのかはきっちり聞いておく必要があるでしょう。

 

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