コロナ患者の生体肺移植

  
ニュースに”コロナ患者に世界初の生体肺移植、夫と息子が提供…京大病院”という記事が飛び込んできた。コロナ感染中の患者に生体肺移植???と驚いたが、そうではなかった。コロナ患者と書いてあるが、コロナ感染を経験し肺が委縮し呼吸機能が落ちた患者であり、コロナに現在罹患しておるわけではないので、コロナ感染の後遺症での低肺機能患者に世界初の生体肺移植と記載する方が正確だがこのタイトルの方が、一般の人にはわかりやすいのだろうか。脳死肺移植症例の報告は世界でかなりあるようである。生体肺移植自体は脳死肺が慢性的に極めて不足(平均待期期間800日!)している日本では有用な移植法だと認識されている。技術的にも安定している。しかし死体肺移植と異なりドナーの生きたままの肺が必要で、提供者の協力が必要となる。今回の場合は夫と息子ということだった。生体肝移植もそうなのだか、一人きりの人はこの移植を、つまり臓器を提供して欲しいといえる人がいるのであろうか?それには自分の子供を多くと考えれなくもないが、子供が拒否する場合だってありうるだろう。しかも肺をもらう側の患者も元気で、年齢制限があるから、誰にでも提供できるものでもない。この手術はそれら問題点がすべてクリアになり、すべてが適応が合致した極めて稀なラッキー症例であるといえる。コロナ感染後PCRで陰性であること=本当に体内にコロナウィルスが居ないならないとは思うが、手術のタイミングはいつが適当なのだろうか?いずれにしても、移植で助かる人がいる素晴らしいにことは違いないのだが、助からない人が大多数いることも事実であり、外科医の限界といえなくもない。大多数の人にコロナ罹患肺を機能低下させないような薬剤が出ることを期待するが。。。IPの既存薬ではダメなんだろうなあ。

人間の寿命と生活と医療




最近、人間の寿命に関する話題が多くなってきました。長寿漫画であるサザエさんのお父さんである波平。髪の毛は1本しか無いですし、見た目はおじいさんです。しかし、波平の歳は実は54歳です。実は私は歳で波平を超えました。お母さんのフネは52歳です。1970年代はこんな感じだったようです。つまり、仕事は終身雇用が普通で、55歳定年、平均寿命は65歳でした。つまり、退職して平均10年で亡くなっていたわけです。10年で退職金を使いましょうみたいな感じですね。織田信長が好きだった敦盛。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」「人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」は人の一生は五十年に過ぎないという意味ではなく、人の世の時の流れは天界に比べて一瞬でいかに儚いものかということで、人の寿命が五十年であると解釈するのは間違いではありますが、実際この頃の人の寿命は50年くらいでした。では、現代はどうでしょうか?60歳もしくは65歳定年。その後20-25年で死亡。つまり定年後の生活が20年以上続きます。これはひとえにある意味、医学、医療の発展のおかげと言うことが出来ます。癌のコントロール、生活習慣病の予防と治療など、医療従事者はあまり感じではいないことですが、徐々に寿命は延びているわけです。もちろん、医学の発展が人類の生存曲線の延長に寄与するのは素晴らしいことです。人の人生経験を延長させるなんていうのは、ドラえもんの世界のようですらあります。しかし、ここで大きな問題が持ち上がります。定年後の生活はどうするのかという問題です。年金は充分ではないことはもうわかっていますし、今後その額は減少していくでしょう。つまり生活のためには定年後も働き続ける必要がでてきます。さらに、人間は老うと当然病気になります。不老不死とテロメアの関係。テロメラーゼ活性が高いとテロメア短縮が抑制され寿命が延びるように思いますが、癌では悪性のものほどテロメラーゼ発現が上昇していますので、そう単純なことではありません。癌などは寿命が延びる現代、日本人の二人に一人罹患します。そして、個人のみならず基金いわゆる国民全体の税金にその治療費が重くのしかかってきます。そして貯蓄したお金を消費します。もちろん定年後は大きな貯蓄や不労所得で悠々自適な生活が出来る人もいますが、そうで無い人の方がスタンダードです。ということは医学の発展が人間社会を、人間そのものを苦しめる結果になっているともいえます。じゃあ、何のために医者はいるのか。。。病気を治す。治す手伝いをする。寿命(生存率)を伸ばすなどの使命の一方で、かえって社会構造を変化させて人類を破滅に向かわせようとしているのかという気すらしています。肺癌の治療薬である分子標的剤や免疫チェックポイント阻害剤など高額な薬剤が開発され、1年2年生存期間を延長させます。ガイドライン上は当然推奨します。日本の医者や政府は国家予算や医療費のことなど考える余裕があまりなく外国のように保険診療の制限が大きくありませんから、どんなに高額でも推奨治療を行い、基金で補填する傾向にあります’。もう、少子高齢化日本の国民皆保険が破綻するのは目の前です。資本主義社会にもかかわらず生命に対しては社会(共産)主義的な医療提供を日本はしてきました。命は平等という名の下に。米国のように、貧しい人は虫垂炎でも手術が受けれなくて死亡するというような悲惨な事例はあまり聞かないです。しかし国民皆保険が破綻したら、政治によっては日本でもそれが現実化する可能性があります。