尊敬する外科医とは。。。

  最近、いろんな本に凄腕医師(といわれる医師もしくは自称)の紹介が出ています。そして、その医師は必ず、今までの過去を振り返った記事として、尊敬する外科医は〇〇先生です。とか〇〇先生が私を育ててくれた外科医ですとか言及されています。凄腕医師は大抵は手術の多い病院の部長とか大学教授で、様々な本に反復掲載されています。よく出ている人と出ていない人の差が激しいです。医者でない一般の人(患者さん)は、凄い!この先生に手術して貰いたい!とか思います。また、この凄腕医師が尊敬する医師はさらに神様かもしれないと思ったりします。しかし、同業者(同じ科の医師)の評価は異なることもよくあります。また、患者本人もいざ病院に行くとなんか思ってたのと雰囲気が違うなとか、マジでこの人が名医なの?とか思うこともあるようです。でも本に載っていたから大丈夫だろうといって手術を頼みます。このよくありそうな流れというかパターン。。。

 医師が患者の場合は少なくともそんな雑誌の紹介では執刀医を決めません。ある程度腕や噂を知っていますから。あなたが患者だとします。例えば肺癌で隣接臓器の一部に肺癌が浸潤しています。ちょっと若い医師には荷が重い感じです。こういう場合、誰に手術して貰いますか?どうやって手術して貰う医者を選びますか? とりあえず近くの大学病院に行きますか?これは患者が医者だったとしても、選ぶのはなかなか困難です。医師でも科が違えばどこに行くべきなのか、ほぼわかりません。同じ科であれば我々医師は学会などで、どういう医師がどういう手術をしてるかはぼんやり知っていますが、詳細は知りません。だから誰がベストなのかはわかりません。しかも、大病院でスタッフが多い場合は誰が執刀してくれるのか不明です。この先生に執刀して欲しいのにぼんくらの2番手が手術することなんて普通にあるからです。日本では基本的に執刀医を患者が名指しして指定することは出来ません。なぜなら、5年目の医師でも30年目の医師でも手術点数、いわゆる手術で稼げる報酬は同じだからです。A先生にして欲しいから頼んだのに、実際はB先生が執刀したなんてことは普通にあるわけです(患者自身は眠っていますから)。そこの正式な契約関係の締結は無いわけですから(口約束でなく、書面の契約などは普通は無いです)。A先生はB先生に執刀させて指導するという必要性も日本の医療では当然ありますし。だから、患者サイドからすると手術は普通にしてくれるだろうなという医者や病院を選ぶことくらいしかできないわけです。

 医師への取材では、あなたの尊敬する医者は誰ですか?という質問が来ることがあります。よくあるパターンは昔の上司とか留学先の教授とかを出すことが多いと思いますが、私の場合はいつもいないと話します。しかし、尊敬する人はいないけど、この人は凄いなと思う人は少なからずいます(手術数では決してないです)。可能なら私の上司になってもらって直接その手技を吸収したい。そう思うことはありますが、そんなこと出来るわけがないので、メールや電話で話しさせて戴きます。そういう医師は過去に3人いました。だだ、それは外科医として吸収したい手技を有している人であり、尊敬できる人なのかどうかは別問題です。なぜならその人のあらゆる事がわかる程は一緒に仕事や生活してないのが普通だと思いますので。その人を深く知っているわけではないですから、簡単に尊敬しているというのはかえって軽い気がします(甲子園球児が両親を尊敬するというのは好感が持てます)。手技に限れば、中でも特にその手技やデバイスを自ら産みだした人(海外の輸入でなく)は凄いと思います。時に私には、その手技は簡単にまねできないようなものもありますが、大抵は自分でやってみるとすぐに出来る手技が多いです。ただ、その手技は動画などを見たり説明してもらえばできるけども、それを思いつくことはできない。また、実践で勇気を持って行うことも難しいでしょう。そういうオリジナリティのある手術を持っている人は尊敬すべき対象なのかもしれません。ただ、手技だけでその人を尊敬できるかというとそんなことは無いですよね。。。ブラックジャックだって凄腕だけど性格はとんでもないところがありますから。性格ならドクターコトーのほうが尊敬できます。えてしてそういう人ってのは変な人が多いと決まってますから。ただ外科医としてその手技に尊敬すべきものがあるという人を尊敬の対象とするのならば、私には尊敬する医師はかなりいます。そういう医師と話をすることは本当に楽しく、自分の未熟さを理解することができます。

65歳からの外科医



Yahooニュースで心臓外科医の天野先生が定年後にどうするかというニュースを見た。

https://president.jp/articles/-/43708?page=1

 外科医がメスを置くというのは大変大きな決断であり、天野先生のように可能な限り手術をする、しようとする人も多い。かたや、大学病院などで肩書きが上の人はもう若い外科医に手術を任して、デスクワークに徹し、会議などのみで手術をほとんどしない人もいる。こういった場合は自分が手術しなくても多くの手術できる医局員がいるから任せるという意味と自分が手術できないかする自信や興味が無くなったという二つの理由がある。しかし、かたや一般病院はスタッフが大学病院のように多くは無い場合がほとんど(多くのスタッフがいる病院もあるが)なので、年をとっても手術をせざるを得ない。嫌でも、面倒でもしなければする人がいないわけである。天野先生は大学教授ながら65歳定年まで精力的に手術をされ、さらに自分の腕を世界に役立てようとされているので、やはり手術がお好きなんだろうなあと思う。凄いバイタリティである。しかし欧米では55歳くらいまでに大きな報酬を得て早期退職し悠々自適な生活を送る医師も多い。

流水腐らず、戸枢螻せず

(りゅうすいくさらず、こすうろうせず)

ということわざがある。常に流れる水は腐ることがなく、常に開閉している開き戸の軸は虫に食われることがない。常に活動し変化しているものには沈滞や腐敗がないというたとえ。同じ事を無意識に延々としている人間は腐っていくのだろうか。手術でもそうなのかもしれない。変化のない同じ手術を延々とすることは、確かにその手術技術は安定するのかもしれないが。それ以上の進歩は無いもしくは少ない。何より同じ事を延々と行うのは、たしかにそれは継続性という意味では大切なことだし尊敬されることではあるのだが、普通は面白くないし飽きてくる。そうすると後進に道を譲るということになるのかもしれない。何か新しい行動を取る。それは新しい手術への挑戦や現在行っていないことを行ってみるなどいろいろな意味があると思うが、同じ事をやっていると時間が早く経過するように感じることは真実である。学生時代の時の流れと40過ぎてからの時の流れは全く感じ方が異なる。あっという間に10年が過ぎている。。。外科医が手術のモチベーションを保つには”手術が好きだから”とか”患者さんに感謝される”という事以外にいろいろあるはずである。それは報酬でも良いし、自分を高めるための自由な活動でも良いし、他の自分にとって新しい何かでも、欧米のようにメスを置いた後の将来への夢でも良いだろう。

人生は1度しか無いというのは事実であるなら、何年も何も考えず水溜まりのごとく何かに縛られながら同じ仕事をして定年を迎えてメスを置くという外科医というのは最も悲惨なものなのかもしれない。。。そんなこと今まで考えたことは無かったが。

オリジナルとザッハートルテ



”オリジナル” とはWikipediaでは

  1. 「独創的」・「独自のもの」という意味。 また、何かに加工されたものの元となるもの。特に、複写複製等に対して用いられる。本項で詳述する。
  2. 既製品に個人販売店などが加工や機能を追加したもののこと。誤った用法であるが、一般的に使われている。

つまり現在行われている手術のほとんどはオリジナルなものではない。しかし手技の細かなひとつひとつには、それぞれオリジナルがあると言ってもいいとは思う。大きな機械の中の部品一つ一つにもオリジナリティがあるのと同じである。精密機械であれば、部品それぞれに特許がある。それはWikipediaの2に相当するものもしないものも存在する。オリジナルであるのかそうではないのかという議論は手術や手技において重要ではあるが、そこに金銭的利害関係がない場合(普通はデバイスが絡まないとあまりない)問題にはなりにくい。しかし、学会などで自分が初めてその発表をしたのに他人にオリジナルかのようにさも初めて発表したかのように言われると、当の本人はいい気がしないのは確かである。また、多くの人が行っていて、どうでもいいような常識的なことをさもオリジナルのように発表する人もいる。こうなると精神的な利害は伴うかもしれない。だから、そういう場合は〇〇先生も発表されていますが~という言い方をする方が良いようなこともある。

しかし、もろ利害関係の発生する商品に関してはそうはいかない。ぱっと頭に浮かぶのはザッハートルテ(Sachertorte)である。ザッハートルテはご存じのようにオーストリアの有名なチョコレートケーキである。ウィーンに行かれたことのある人や興味のある人なら有名な話なのでご存じではあると思うが、実はザッハートルテには2種類ある。

ちなみにザッハートルテのレシピは、チョコレートバターケーキに、アプリコットジャムを塗り、チョコレート入りのフォンダンでコーティングして、仕上げに砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えるというもの。2種類のザッハートルテというのはオリジナルのザッハートルテを生み出した菓子職人フランツ・ザッハーのいた本家「ホテルザッハー」のものとオーストリア王家御用達の菓子店「デメル」のものである。いうなればデメルのザッハートルテは厳密にはホテルザッハーの方が早いのでオリジナルではなく、Wikipedia2に相当するのかもしれない。じゃあ、何が違うのかというと、基本的なレシピはほとんど一緒なんだが、アプリコットジャムの塗る場所が違う。「ホテルザッハー」のはアプリコットジャムがスポンジの中とチョココーテイングの下に塗られているのに「デメル」のものはスポンジの中には塗られていない。こ、これだけかい。。。。という感じなのだが。。どちらがおいしいかは個人差がある。個人的にはあの甘いケーキに甘酸っぱいアプリコットジャムがケーキのスポンジの中にも塗られている方が食感もいいし、味も甘さが緩和されスッキリして好きである。(これは完全に好みで変わる)これにウィーンナーコーヒーを合わせると寒いウィーンでは生クリームだらけの最強のデザートとなる。

この二つの違いはオリジナリティの存在をめぐって裁判になり、「ホテルザッハー」が勝利することになった。まあ、ザッハーって名前があるからなあ。。ただ、デメルはホテルザッハーが財政難の時に融資で助けているので、デメルが助けなかったらホテルザッハーは潰れてオリジナルザッハートルテも現存しなかっただろうと。。。裁判には負けたものの、歴史はデメルが好感が持てるので、食べるのはどちらでもいいかなと思う。デメルトルテに名前を変えて売っても売れないだろうか。。

つまり、真のオリジナルでもそうでないものでも行きつく先は、個人差でその価値が変わるものや、さらなる完成度の高いもので、特に医療であれば患者側にとって有用な利益のあるものであれば、あまりそこ(オリジナルであるかそうでないか)に焦点を置かなくてもいいのかもしれない。



オリジナティのある医療



外科の世界において個人的に私が凄いなと思うのは、やはり全く何もないところから作り上げることやその人です。身近なところで分かりやすいものでは新しい手術手技ということがいえると思います。いわゆるオリジナリティのある医療、オリジナリティのある手術です。本当に何もないところから自分で新しい治療法や手術術式を考えるのは相当困難で凄いことです。私の入局した時点での医局は教授不在でしたが退職されたばかりの岩喬教授は、まさにWPW症候群の外科治療でオリジナリティのある手術を持つ稀有の存在でした。全国のみならず海外からも患者さんが大学病院に集まってきていました。なぜなら、当時その手術を施行しているのは唯一無二であったからです。岩先生は1987年に不整脈外科研究会を発足されました。その会は現在も続いています。研究会発足当時は心室頻拍やWPW症候群などに対する外科治療が主たるテーマでしたが、現在はカテーテルアブレーションを含めた心房細動に対する外科治療が中心となっています。しかし残念ながら、日本の第一人者と呼ばれる外科医のオリジナリティのある仕事は大変少なく(しかし岩先生のように各分野で確実にあります)、今はオリジナリティがあるといわれる新しいとされるほとんどの手技は海外から輸入したものです。海外でやっていたことを日本に輸入して手技を広め、そのうえで日本特有に手技やデバイスを改良するものが多いです。勿論、それですら当然、すごい苦労と努力が必要で尊敬すべきことではあります。“日本ではじめて“ や ”○○地区ではじめて“ や時には ”○○市ではじめて“なんて地域への新手技の導入というものは、グローバルオリジナリティーがあるとは決していえないものですが、これでも、少なくとも今まで自分がやらなかったことをやるわけですので、勇気も準備もいります。基礎医学の分野では、たとえばノーベル賞受賞分野では凄いオリジナリティのある業績が実際の臨床医学に応用されています。いわずと知れた免疫チェックポイント阻害剤などはその一つと言えます。外科分野は現在かなりその手技は成熟してきていて、昔ほどなかなかオリジナリティのあるものが出てこないのは当然です。外科治療として現在行われているある範囲は将来的にそれ以外の科の治療に置き換わっていくのは当然かもしれません。たとえば外科治療の革命の一つは痛みのない、創のつかない治療なのでしょうが、ガンマナイフやノバリスなどで実現可能な過渡期にあるとも言えます。勿論そこにはステージなどのハードルはありますから全てというわけにはいかないでしょう。心臓外科での冠動脈バイパス術のようにステント留置にかなりの適応が移行するなんてことも当然考えられるわけです。また、手術の上手さ。。。これを評価するのは難しいです。では外科手技は何で比較すればいいのか。。よく浸透しているのは病院間での手術数の比較です。毎年3月になると様々な出版社から本が出ます。しかし、A病院は年間ある手術が300例、B病院は100例だからA病院の方が手術が上手い!とはなりません。手術数は地域差での患者数の多い、少ないや病院の規模、勤務している外科医の数などで大きなバイアスがかかります。1チームの病院は3チームの病院より手術が少ないのは当たり前です。だから、この手の本での手技の優劣はわかりません。またどの外科医が手術するかでも手術の結果は左右されるでしょう。しかし、オリジナリティのある手術がその病院でしかできなくて患者が集まるのなら話は別で、一つの指標になる気がします。